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08/17 2006 14:42 |
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一概に悪法といっても、その内実はあいまいである。何が悪法であるかを決めるには、定義が必要になるが、誰もが納得しうるような絶対的な定義はない。その為、法をどのように捉えるかによって悪法の定義は異なってくる。法の本質を自然法、社会契約、強制と捉える3つの考え方で、悪法の定義と、その有効性についてそれぞれ考察してゆく。 ① 自然法思想
①自然法思想では、自然法に反するものが、②社会契約説では、みんなの「こうあるべきだ」という共通認識、いわゆる社会通念に反するものが悪法となる。悪法は法としないのが望ましいのであるが、それぞれの見解に基づいて立法を行ったとしても、悪法が生まれることは避けられない。それは、制定法には限界があるからだ。
法の欠缺が生じさせてしまうような法は、妥当な結論を導かない悪法である。悪法は望ましくないので、禁止した方がいいことと、そうでないことの分類を細かくしてゆき、制定法を修正してゆくことになる。しかし、先に述べたように制定法による分類には限界があり、法の欠缺が発生してしまうことは避けられない。つまり、悪法が生じてしまうことは避けられないのだ。
制定法には限界があり、法の欠缺が生じてしまうことは避けられない。そういった法の欠缺が生じた場合の救済方法として、法の解釈がある。しかし、法解釈による救済には弊害が伴うので、救済の仕方について、考え方の相違がある。 ① 自由法学 ② 概念法学
悪法は法としないのが望ましいのであるが、その排除は容易ではない。制定法には(禁止した方がいいことと、禁止しない方がいいことの)分類に限界があり、必然的に法の欠缺(本来なら禁止しなくてもよいのに禁止してしまう場合、または、禁止する必要があるのに禁止していない場合)ができてしまう。そのようなケースにおいて、その法は妥当な結論を導かない悪法である。しかし、その他のケースにおいては役立っており、その法がないと社会は不利益を被る場合、悪法も法であるとして、その有効性を認める必要性がでてくる。これは、無いよりはましであるが故の、やむを得ない必要悪といえる。 PR |
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08/15 2006 11:41 |
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②毎年世界ではかなりの数の法が作られていて、その中で毎年約20万件アメリカでは法が作られるがその中で最も悪法が多いとされているのもアメリカなのだ。この国では実行するには不可能な法や人間的道徳に反するものが多いとされている。例として、ポケットの中にアイスクリームを入れてはいけないという理解不能な法がある。ポケットにアイスクリームを入れることは容易ではあるが、この法を作ることによってなにを得てなにを見ようとしているのかといった実質的観念においては全く理解することができないし、過去にそんな判例があったのかと疑いたくなるような法である。しかし、この法は周囲からの反論はないし、改正もしくは廃止という目っも通っていない。なぜなら、この法は破りようもないし、実効することはできるといえばできるが、だれも進んで行う人はまずゼロに近いと思う。もちろんそんなことをすれば自分自身が道から外れた愚か者というレッテルを世間から貼られてしまう。そんなことよりも銀行からお金を盗んだり、人に暴力を振るう人のほうが圧倒的に多いというものだ。 ③しかし、悪法も法的効力として実行可能であり且つ法として守られているものもある。それが民法754条の消滅時効の規定である。これによると、一定の期間を経過すれば債権の消滅が確定してしまうといった内容なのである。債務はちゃんと履行すべきであり、借りたものはやはり最後は返さなくてはいけないという倫理観や道徳に違反しているのではないかという反論もある。私はこの法については肯定していきたいと思う。その理由として、悪質な取立てにあっている人達の救済という点においてはこの法はなくてはいけないものだと思う。また、これを見て悪法も日常生活や人間との関連性という点をみると道徳や倫理観に反することがあるが、いざ裁判のために使用するとなると悪法も使えるものがある。例えば先ほどの例のようにどうしても悪質な取立てにあって困っているという人がいたとして、裁判をおこなえばこのように民法754条で救えるのだ。このようなこともあるので、なんでも人間の倫理観や道徳観念は完全なるものでないのだ。法も正しいことの実現のほかにも、もちろん正しいことを導きだすことが主目的であり大前提であるが、時には倫理観、道徳観念にそむいたとしても、『救える』という結果が導きだせるんだという別の意味でも捉えることができるんだということが考えられる。そういう意味で悪法も法の一つとしてあるのではないのだろうか。だから『悪法も法なり』なのではないだろうか。 ■管理人コメント ご参加ありがとうございました。及ばずながらコメントをつけさせていただきます。 論理構成の順番が微妙です。 ②が悪法となる根拠が不明確です。②は不要だと思います。 >悪法も国会などのお上が定め成文化され、実際に法典に載ってしまえば法とし 後、道徳や倫理に明確な根拠はなく、主観的なものだということは、しっかり抑えておいてください。人によって善悪の基準が違うということです。だから、悪法という言葉を使う場合はもっと明確な定義をした方がいいと思います。 生意気なこと書いてしまって申し訳ありません。もっとキッチリ段落の使い分けができるようになれば、飛躍的に向上するとおもいますので、がんばってください。 |
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