11/20 2024 00:37 |
|
08/06 2006 10:56 |
|
私は本来法と道徳は同じ観念であり共通点は似たようなところがあると思う。その代表例が刑法199条の殺人罪や235条窃盗である。この法がある限り、人を殺したり他人の財を盗ったりすれば当然の報いをうけなくてはいけないという成文があるのだ。道徳に関しても同じことが言える上記のようなことをしでかせば世間から冷たい目でみられてしまい道徳や社会的倫理に反しているとののしられ、批判されるのである。 PR |
|
コメント |
KIさん、どうもありがとうございました。さらに上を目指して頂く為、およばずながら、意見させて頂きます。
法と道徳で大事だといわれている一般的なポイント ・法は精神的なもの、内面的なものを縛る。法は外面的な行為を縛る。 ・法は、強制をともなう。道徳は、強制を伴わない。 ・法は、道徳の最小限。 1.道徳は小さいことから大きいことまで他人に迷惑を書けることを禁止しているが、法は、重に大きいことだけ禁止している(理由は、法には弊害が伴うから)。だから、法は、道徳の一部。or2.道徳はの内容は、価値観によって異なるが、みんな大体共通するところがある。その共通認識となる道徳が法だ。だから、法は道徳の最小限。 (これら3つの定義は、すべて例外もあるので、正確な定義ではない。) 管理人が個人的に大事だと思うポイント ・道徳は、主観的。道徳のみを根拠にして法をつくるのは、みんなの価値観を尊重した社会を築く上で望ましくない。 (法と道徳は乖離すべきという考えが、現在の日本の裁判で支持されています。最高裁判決で、それがはっきり示されているものもあります。法と道徳を乖離する必要がある理由をしっかり理解することは、法学を学ぶ上で不可欠です。) 以上を踏まえた上で、批評してゆきます。 まず、全体として論理の一貫性がありません。 結論が飛躍しすぎています。結論自体は、いいんですが、その論証がありません。 共通点があるという例しかあげていないのに >結果として、法と道徳は人に対する秩序的役割の >ものであり法で許されても道徳観で許されないこともあるだろう という表現が突然くるのは、あまり論理的とはいえません。この結論を書きたいのであれば、その前に、ちゃんとその根拠を論じるべきです。 一般的な道徳が条理という名前で、法源になっているので、「道徳も人間の作った暗黙のルール、つまり不文法(慣習法、判例法、条理の3つを指す)」という表現は適切です。これについては、ある程度論じられていたのでつかってもOKでしょう。でも、この結論に至る根拠が薄いので、その根拠をしっかり論じるべきだったと思います。 論理が飛躍しないためには、結論をある程度決めておき、その根拠に至れるように論じていくのが得策だと思います。 よい点 >物理的苦しみとそうでない苦しみとに分けきれないものでもある。 ここはGOOD。 これを書いたらなら、例をあげてもっと詳しく論じるべきところ。 >法と道徳は人に対する秩序的役割のものであり >法で許されても道徳観で許されないこともあるだろう これもよい分析。 これを書いたなら、「法は道徳の最小限」を論じて話を展開させた方がいいでしょう。 私自身、ろくなものがかけていないのに、偉そうなこと書いてしまって、申し訳ありません。こう考える人間もいるという風に捕らえていただけると助かります。 |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
忍者ブログ [PR] |