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08/18 2006 12:37 |
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①まず法と道徳を大まかに二つに分けると法は外側を縛るもの、道徳は内面を縛るものとして分けることができる。そして法は主として人間社会における主たるもの、言い換えれば殺人や窃盗といったものはすごく大きな部分を裁き、道徳はたいしたことのないものから重大なことまではば広く縛ったり、禁止を促したりする。これらのことを比較し、検討して法は狭い範囲での規制及び物理的罰則を与えるもの、道徳は広い意味での規制そして物理的苦しみはないものの道徳や倫理に反すれば世間一般からの冷たい視線や悪者呼ばわりされるレッテルを貼られたりするのは必須である。しかし人に規制する、縛るといった意味では大体共通していると思う。 ②だが、矛盾しているように思えるが法と道徳これら二つの観念は共通しているがある特定の場面においてはお互い全く違いそしてかけ離れたものになってしまうのである。その場面とは具体的に言えば違法性阻却や過失といった『自分の身を守るために仕方なくやった』とか『事故でなってしまった』といったような場面や心理的状況である。判例を挙げると最近ある親子が寝たきりの母の看護が原因でストレスで病んでしまい、どうすることもできなくなり精神的苦痛を訴えて実の母の首を絞めて殺害してしまったという事件があった。また、もう少し前になるがイジメを行っている首謀者及びその関係者を暗闇にまぎれて殺したという事件もあった。こういった精神的苦痛で『殺す』といった最終手段をとらざるおえないといった事態がやはりあるのだ。改めてかんがえてこのどうすることもできないとか追い詰められた状況を打開するために仕方なくとった『殺害』という最終手段、道徳からみれば『可愛そう』とか『イジメなんか首謀している奴が悪い、こういう状況にはありといえばありかな』という意見が飛び交うと思うし、多少反対意見はあると思う。しかし法的見解から見ると首を絞めて殺したといいう構成要件に当てはまり刑法199条の殺人罪が該当してしまう故その人は罰せられてしまうのだ。このような道徳で許せても法では許せないというしがらみがある。もちろんその逆のケースもある。 ③そして道徳はあくまで主観的なものであり、あいまいなものでありそれ故道徳を基盤として法をつくるのは望ましくないもの。だが近年では道徳も裁判に少し取り入れられていて、その見直しが検討されている。しかし、もともと法と道徳は最初から乖離しなくてはいけないのが今日の日本国の法思想のありかたであるし、最高裁の法典にもはっきり示されている。でも、法と道徳は先でも述べた通りあくまで決まりごとで多少の異なることことはあるものの共通している観念であり法は成文化されていて規制を扱っているが、道徳は人の作り出した暗黙のルールであり不文法で人間社会の規制はもちろんのこと、法と同じところがあるし、さらに人間社会における精神的な秩序を扱っている代物であると思う。 ■管理人コメント 再提出ありがとうございました。いたらないながらもコメントさせて頂きます。 ③結論はよくできているんですが、最後は、もっとコンパクトにまとめた方がよかったと思います。 ③は、接続詞の使い方に問題があります。 >その見直しが検討されている。しかし、もともと法と道徳は ここで、「しかし」を使うのは不自然です。後半の分が逆説ではないからです。ここは接続詞を書かない方が自然です。 ①、②は、まとまりがありません。その最大の原因は、結論とは関係のない情報を詰め込みすぎているからです。どんな面白い分析でも、結論と関係なく、論証もしていないようなことは、書かない方がいいです。確かに、勉強したことはみんな書きたくなりますが、それらを書くと話があちこちに飛んでしまってまとまりがなくなってしまいます。 ②では、なぜ法と一般的道徳、社会通念は違いが出るのか、そして、何故それらを乖離する必要があるのかを書いた方がよかったと思います。 論理の一貫性を持たせるために、次からは段落ごとにタイトルをつけてみるといいと思います。私の「悪法も法」のように。 ③は本当によくできているんですが、その結論を導くための論証が足りません。②でしっかりその結論が導かれる根拠を書けば評価は一気に上昇しますので、がんばってください。 PR |
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コメント |
まず、社会上における法と道徳の近似性があげられる。古代社会では、規制などは国家が認めた宗教の規律から行われていることが多い。宗教の規律は道徳へと変化し、そこから法へと派生した。法と道徳は、互いに近い部分がある。殺人に対する法は、「人を殺してはいけない」という、道徳規則に通じる部分がある。
しかし、法と道徳の異なる点は、道徳は違反したとしても制裁を受けない場合があるのに対し法は組織された力による強制が課せられる点にある。法と道徳の違いを人間に対する、または生ずる方向の外的作用と内的作用、義務の相手方の存在という点から区別する説もある。しかし、民法・刑法における過失や善意といった人間の内面に関する条項の存在、道路交通法における明確な義務の相手方の不在という点から矛盾は生じる場合もある。 法は、殺人罪の規定にみられる「人を殺してはいけない」など道徳の影響を受けている点がある一方で民法における債務の時効の制度は「約束を守らなければならない」という道徳観に反するような点もある。これは、法が社会の秩序を達成する目的をもち、そのための手段であることに関係している。また、法技術的な点から「右側通行」など道徳に関係しないことも規定がしてある。法とは強制を伴う。道徳は人間の生活の理想を実社会の実情に関わらず描いたものであるため、社会を道徳に全てゆだねることは問題は生じる。過去、道徳を法の代わりに用いることによって失敗した政治もある。 以上のように、法には社会的に則した技術的要素がある。そのため、一般に悪法と呼ばれる法であっても、社会の実情を鑑みて、ある程度許容せざるを得ない場合もある。法と道徳はこのように実社会における影響という点で異なる点もあるが、あまりにも道徳的にかけ離れた法は社会からの支持を受けられず、長期間の効力を維持できない可能性もある。 【2006/08/2222:45】||ブルー#99d15f2f62[ EDIT? ]
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